積読のすすめ

本との出会いは、いつでも遅くない

私の積読の現状

読みたいと思って買ったのに、まだ読んでいない本。

私の家にも、そんな「積読」がたくさんあります。

小説、歴史、ビジネス、ノンフィクション。ジャンルを問わず、面白そうだと思えば買ってしまうので、読むスピードが買うスピードに追いつきません。

なかには、買ってから10年ほど経ってようやく読んだ本もあります。

一方で、ずっと読めていない本もあります。

その代表が、小林直樹さんの『法の人間学的考察』です。

若い頃に「これは面白そうだ」と買ったものの、500ページを超える大著を前に、いまだに読破できていません。

それでも、手放す気にはならない。今も本棚にあります。


本との出会いには「旬」がある

本屋で面白そうな本を見つけても、「今読んでいる本が終わってから」と買わずに帰る。

ところが数カ月後、ふと思い出してもタイトルが出てこない。

そんな経験があります。

本にも、出会うタイミングがあります。

「面白そう」と思った瞬間に買っておけば、すぐに読まなくても手元には残ります。

実際、私は買ってから10年ほど経って読んだ本もあります。

そう考えると、「今すぐ読まない=買う意味がない」ではないのでしょう。

積読は「読めなかった本」ではなく、未来の自分のために選んでおいた本とも考えられます。

「本という物」が好きでもいい

私の場合、積読が増える理由がもう一つあります。

単純に、本そのものが好きなのです。

特に惹かれるのが、分厚くて大きな本。

二段組で文字がびっしり並んでいるような本を見ると、それだけで少し欲しくなります。

一冊4,000~5,000円するような本でも、「面白そうだな」と思えば買ってしまう。そんな本が家に何冊もあります。

もちろん、本は読んでこそ価値があるという考え方もあるでしょう。

でも、装丁を眺めたり、本棚に並べたり、ふとしたときに手に取ったりすることも、本を所有する楽しさの一つだと思っています。

電子書籍には、検索できる、場所を取らない、どこでも読めるといった便利さがあります。

その一方で、紙の本には「そこにある」こと自体の魅力があります。

本棚の前を通ったとき、背表紙が目に入る。

「ああ、そういえばこの本を読みたかったんだ」と思い出す。

それも、紙の本だからこその楽しみです。

最初から最後まで読まなくてもいい

読書を苦しくするものの一つが、

「買った本は全部読まなければならない」

という思い込みです。

小説なら最初から読みますが、ビジネス書や実用書なら、目次から気になる章を選んでもいい。

知りたいところだけ読むのもありです。

読み始めてみて、「今の自分には合わない」と思えば途中でやめる。

一冊を読み切ること自体が目的になってしまえば、読書が宿題のようになってしまいます。

本を買ったのだから、必ず全部読まなければならない。

そう考えるよりも、「今の自分が読みたいところを読む」くらいでいいのではないでしょうか。

本棚は「自分だけの小さな書店」

私は、そのときの興味に合わせて読む本を変えます。

歴史小説を読んで、その時代をもっと知りたくなり歴史書を開く。

そこから人物に興味を持って評伝へ進む。

途中で、まったく関係のない本に寄り道することもあります。

そんなとき、積読がたくさんあると楽しいのです。

「今日は何を読もう」

そう思いながら本棚を眺め、その日の気分で一冊を選ぶ。

考えてみれば、本棚は

自分の好みだけで選書された、小さな書店

のようなものです。

そこには、過去の自分が「読みたい」と思った本が並んでいます。

そして同時に、これからの自分が読むかもしれない本も並んでいます。

積読は「可能性」が積まれている

もちろん、買った本を全部読めれば理想的です。

でも、読めていないからといって、罪悪感を持つ必要はないと思います。

10年後、突然読みたくなる本もあります。

買ってから長い年月がたっても、まだ読めていない『法の人間学的考察』のような本もあります。

それでも手元に残しているのは、「いつか読むかもしれない」という気持ちがまだ消えていないからなのでしょう。

積読は、「未読の本の山」と考えれば少し重たく感じます。

でも、

これから出会える知識や物語のストック

と考えれば、少し見え方が変わります。

読まなければ、と焦らなくていい。

今日読みたい本を、今日読めばいい。

そして、読みたい本に出会ったら、また買ってしまえばいい。

……こうして、私の積読は今日も増えていきます。

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